宣教のはじまり
1926年(大正15年)ドミニコ会のマカりオ・ルイス神父が今治に着任し、恵美須町の民家を仮教会として宣教を始めた。 その年の4月4日に2名の洗礼式があり今治信仰共同体が生まれた。1933年、宝来町の現在地に移転する迄に共同体の メンバーは15人になっていた。



 最初の今治教会
1933年(昭和8年)宝来町の適地に教会兼司祭館と付属幼稚園が落成、翌年には幼稚園を開設した。これが現在の若葉 幼稚園である。以来、歴代主任司祭が園長として子どもたちの教育に当たり、七千名の卒園生を持つ市内屈指の幼 稚園に発展した。1937年、ドミニコ会士アントニオ・グチエレス神父が二代目主任司祭として着任した。
戦後再建された今治教会
1941年に始まった太平洋戦争の末期、1945年(昭和20年)8月6日、終戦の9日前の今治大空襲で、教会も幼稚園も 消失してしまった。しかし戦後、内外の援助を頂いて1949年(昭和24年)、教会が再建され、幼稚園も再開された。



 現在の今治教会
1972年(昭和47年)用地を拡張し、カトリック今治教会は聖堂、司祭館、信徒会館と幼稚園を一体化した近代的な総合 建築として生まれかわった、そして2006年、創立80周年を迎え、現在に至っている。この80年の間に受洗された信徒の 数は647名である。

戻る・・・・・